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サマルカンド 文化交差路

 ブハラの次に行ったのがサマルカンドです。中国では唐の時代に「康国」と呼ばれておりました。快晴が続く空とモスクの色から「青の都」というニックネームもあります。
 同じく、印象に残ったスポットを紹介して行きます。

 まずはティムールが埋葬されているグリ・アミール廟です。夜にはライトアップされます。
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 ティムールの棺のレプリカです。本物はこれと同様の配置で地下にあるのだそうです。
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 埋葬されているティムールの像はここの近く、道路の交差点内にありました。タシケントのものと違い座っていますね。
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 サマルカンド一の見所、レギスタン広場です。順に昼・夜・朝のレギスタン広場です。
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 ティムールの妃、ビビハニムのモスクと廟です。
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 ビビハニム・モスクは完成を焦ったため、当時から雑なつくりだったようですが、今も中は崩れそうで改修中でした。

 ウルグベク天文台のウルグベク像です。ティムールの孫で、教育に熱心で、自分も世界最先端の学者とすごい方です。像も賢そうに作られますね。
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 天文台と六文儀跡です。
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 シャーヒズィンダ廟群の正面です。
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 英語のできる地元の人と話した際、「他の国に行って、ウズベキスタンから来たというよりも、サマルカンドから来たと言った方が分かってもらえる。」という話を聞きました。
 そんな地元人も誇りにするような、きれいで落ち着いた町でした。


ブハラ おまけ

 ブハラのおまけ編です。

 1km以上離れたブハラ旧市街からのカラーン・ミナレットです。常に目印になりますね。
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 ナディール・ディヴァンベギ・メドレセです。偶像崇拝禁止のイスラムの教義に反して、入口中央部の太陽に顔を描いてしまっています・・・。勢いで思わずやってしまったのでしょうか。
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 しかしその顔は結構なゆるキャラ系です。

 土産物屋が立ち並ぶところにワインテイスティングのお店がありました。左が店主のジャマールさんです。親切な方で英語でかなり丁寧にワインの説明をしてくれます。
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 女性にはかなり飲みやすいワインのラインナップだと思います。
 このお店には来店者が感想を書いていく立派なノートがありまして、中に日本人観光客が冗談で「田崎真也」「川島なお美」の名で感想を書いたものがあったのですが、ジャマール氏はどうも本気に受け取っているようで・・・、ノートを私に見せてくれながら「日本で有名なソムリエと女優が来たんだ!彼らを知っているか?」とニコニコしながら説明してくれました。
 かなり優しくしてもらっていたので「これは嘘ですぜ、旦那」とは言えませんでしたね。どなたか説明してあげてください。

 とんちで有名なイスラム神学者のフッジャ・ナスレッディンの像です。ウズベキスタンでもかなり人気のある歴史上の人物のようで、一緒にロバに跨り写真を撮る国内観光客と思わしき人がたくさんいました。
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 ブハラは落ち着いた町でした。


ブハラ 歴史地区

 私がタシケントの次に向かったのがブハラです。中国では唐の時代に「安国」と呼ばれておりました。
 歴史地区として町が世界遺産に登録されておりますが、小さい町なので効率よく簡単に観光ができます。
 タシケント同様、印象に残ったスポットを紹介して行きます。

 まずはチャル・ミナルです。4本のミナレット(光塔)という意味です。鳩がたくさん住み着いておりました。
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 ウルグベク・メドレセアブドゥルアジスハーン・メドレセです。2つはお向かいさんでして、内部は同様に土産物屋になっています・・・。後者左側の塔先端の黒い物体はコウノトリの巣です。
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 メドレセついでにミル・アラブ・メドレセです。旧ソ連時代にも神学校として使われていたそうです。
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 ブハラ一番の見所、カラーン・ミナレットカラーン・モスクです。
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 カラーンは大きいという意味だそうでして、それぞれ「大きな光塔」と「大きなモスク」ということになります。確かに大きな建物でした。
 カラーン・ミナレットはチンギス・ハーンの襲来時にも壊されずに済んでいます。内部は登れるようなのですが、私は何故か登らせてもらえませんでした・・・。

 ブハラ・ハーンの居城、アルク城です。通りかかった際にテレビ撮影をしておりました。
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 私が落ち着けたのはここ、イスマイル・サーマーニ廟です。中央アジア最古の建物らしく、タシケントの歴史博物館でも取り上げられておりました。チンギス・ハーンの襲来時に破壊されなかったのは、当時土の中に埋まっていたからとのことです。公園の中にありまして、すごくのんびりできます。
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 もう1つ落ち着けたスポットがブハラ郊外のバハウッディンです。中央アジアで最も有名なイスラム教の巡礼地とのことです。皆さん真剣にお参りしておりました。
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 女性にも開かれたモスクとのことで、女性の巡礼者が多かったです。観光バスでやってくるようでして、バハウッディン前には大きなバスの駐車場がありました。


タシケント サッカースタジアム

 タシケントにはFCパフタコール・タシケントFCブニョドコルという強豪サッカーチームがありまして、日程の関係上、試合を見ることはできなかったのですが、スタジアムを見に行ってみました。

 まずはパフタコール側から。
 パフタコールのホーム「パフタコール スタジアム」の場所は新市街の中心部近くのかなり良いところにあり、代表戦も良く行われます。日本代表が2010年南アフリカワールドカップ行きを決めた場所です。

 クラブハウスと記念碑です。
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 チケット売り場です。レプリカユニホームなども売っておりました。
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 スタジアムの外側です。この後スタジアム入口を撮ろうとして職員に大声で注意されました(苦笑)
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 一方のブニョドコル側です。
 近年オーナーがお金持ちの方に代わり、チェルシーのように補強をどんどん行っておりまして、エースがバルサでも大活躍してくれたヒバウド、監督がワールドカップ優勝監督のルイス・フェリペ・スコラーリと世界的に見ても豪華なチームとなっています。(ちなみに前の監督はジーコ)
 つい先日(11月12日)今シーズンの全日程を終えまして、ブニョドコルはウズベクリーグ優勝、ヒバウドは得点王になったようですね。

 スタジアムは「JAR」という総合スポーツ施設の中にありまして、名前は「JARスタジアム」です。
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 スタジアムの画像です。入口に鍵も掛けられておらず、警備も無かったので、勝手に中に入って席に座りくつろぎながら撮影しております。
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 1万人収容できるかというところでしょうか。ヒバウドの居るチームとしては物足りなさを感じますが、きれいなスタジアムではありました。


タシケント 旧市街

 タシケントの旧市街のご紹介です。新市街に対して下町のような感じと言ったらよいでしょうか。

 旧市街の一番のスポットと言えばチョルスーバザールです。食料品を中心に何でも揃う市場です。
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 上部左側の画像がバザール全体の地図ですが、遊園地が丸々入りそうな大きな敷地の中にあります。

 野菜売り場です。写りきれていませんが八百屋さんがずらーっと並ぶ壮観な光景です。商材もほぼ同じでして、お客はどのように店を選ぶんでしょうね?
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 ドームの中です。チョルスーバザールの中での一等地なのでしょうか。
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 ウズベキスタンには朝鮮族の人も多く居りまして、キムチ売り場も設けられておりました。
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 人が大勢集まるところですので、バザールの客目当てに、敷地の外にも物売りの人たちがたくさん集まっておりました。
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 物売り以外にも大道芸人が居たりします。
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 食料品は試食させてくれますし、衣類や日用雑貨、携帯電話や小さな電気製品なども売っていて、飲食店もそこそこ充実しているので、一日楽しめるスポットではないかと思いました。

 下はチョルスーバザール近くのクカルダシュ・メドレセ(神学校)です。
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 バザールの喧騒を他所に、ここは比較的静かでした。


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